アメリカンの彼と結婚までの軌跡

海外大好きミーハー女子

親の気持ち

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こんにちは!あかねです!

 

 

今日は両親について、私が最近感じたことを言葉にしたいと思います。

 

私はもともと高校生の時から自宅を出て寮で暮らしていました。私の実家は北海道の超絶田舎。人口は1000人もいない村です。なので高校も家から通える距離になかったので寮のある高校を選びました。この学校までは家から片道6時間はかかります。北海道は大きかったので私よりも遠くからきている子は何人もいました。

 

 

大学も家から車で2時間30分はかかる距離のところに進学しました。そこは国立だったので授業料が安かったからです。お金の面で親に迷惑をかけたく無いとずっと思っており、その大学にしました。

 

 

就職は、本当はそのまま大学病院に勤めようと思っていました。でもずっとこのままこの北の大地で人生を終えていいのだろうか。私は何も知らない。もっと日本を、世界を見たい。そう思って3年病院で働いたらいたらJICAで青年海外協力隊に応募し、そこで海外を見る。5年かけて北海道にもどっってこようと計画し神奈川の病院に就職を決めました。

 

 

でもまあ現実そんな簡単に計画通りいかないですよね〜笑

 

今は、看護師4年目。結婚し、神奈川にすみ続けて、今は訪問看護ステーションを立ち上げようとしている。人生はどうなるのかわかりませんよね。

 

そんなこんなで家にいる時間家で親と過ごす時間が一番短かったのが私。

親に言いたいこと、こうして欲しいと思ったことがあってもうまく親に伝えることができていませんでした。これを言ったら裏で何か言われるかな、これを言ったら迷惑かけるかな。そういう思いがあり親に対してお願い事をすることは自分ではあまりなかったと思います。

 

今回、親が私の家に遊びにきていた時に両親とたくさん話すことができました。私は自分でもう大人だからと思っていたけど、親からしてみればまだまだ子供。もっと頼ってきて欲しいよ。親なんだからもっと頼って。寂しいよ。と言われ、今まで一人でなんとかしようと思って色々頑張っていたけど、どんな私でもいいんだ。とやっと肩の力を抜くことができました。

 

親と子でもお互いを思っているあまりにすれ違ったり、誤解していたり。私たちだけじゃなくてきっと他にもたくさんお互いを誤解しあっている家族っているんじゃ無いかなと思いました。こう言ったら嫌われるとかすごく思っていたけど、言わないと伝わらない。誤解したままだと辛いまま。勇気を持って話すことの大切さを学びました。

 

それから、親が年をとったなあと気づく事がたくさんありとても切ない気持ちになりました。指が曲がってペンを持つのが痛かったり、白髪が増えていたり、歩くと足が痛くてすぐ疲れてしまったり、目が悪くて携帯を見る時に目から遠くに離してみていたり。子供にだけは迷惑かけたくないから、施設に入るだけのお金は準備していると言われました。

 

こんなに大切に育ててくれた親なのになんで私はこんなに離れたところに住んでいるのだろう。私は親に何にも返せていない。私が独り身だったら実家に帰って仕事することもできるけれど、旦那もいるしいまのこの環境が好きだし。なんだか、大切な人を守るために看護師になったのに、いまは守れているのだろうか?そう考える時間が増えました。私の人生で大切なものの優先順位をもう一度考えなければなりません。夫、仕事、家族、友達、コミュニティー、私は何を命かけてでも守っていきたいんだろう?きっと子供ができたりするともっともっと変わっていくと思うけれど、その都度大切なものを失わないようにしていきたいです。親は私が楽しく幸せに暮らしてくれている事が一番の幸せというけれど、今親が死んでしまったら私は自分を許せるだろうか?

 

毎日涙が止まりません。私が大切にしたいものがなんなのかわからない。地方から都心に出てきている人もたくさんいると思います。でもいまは都心にいなくても仕事はできる時代です。みなさんも一度考えてみて欲しい議題だなあと思いました。病院で働いていた時に家族が遠くに住んでいるから、すぐに面会に来れない人が多かったです。私はそうはなりたくないなあと思っていたけれど・・・。難しいなあ。

 

 

最後に、親がこれプレゼントに買ってきたと言ってくれた絵がとても素敵だったのでここでシェアさせてください。

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